尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれた。

玉陵は1501年、尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれ、第二尚氏王統の陵墓となりました。墓室は三つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋で創建当初の東室は洗骨後の王と王妃、西室には、墓前の庭の玉陵碑に記されている限られた家族が葬られたそうです。沖縄戦で大きな被害を受けましたが、3年余りの歳月をかけて修復工事が行われ往時の姿を取り戻して今日に至っています。
順路に沿って紹介

バリアフリー
道路から管理事務所(奉円館)はスロープが設置されているのでベビーカーや車いすでも行くことができます。

奉円館(ほうえんかん)
こちらで入場料金を支払います。地下1階の玉陵資料館で学んだあと観覧したほうがいいです。

事務所で入場料を支払いすこし歩きます。

門がありますので中に入ります。この門の前に段差があるので、車いすやベビーカーの入場は困難です。

1000人以上は余裕の庭になっています。きれいな珊瑚砂が敷きつめられています。周りは石灰岩の石垣に囲まれています。

中門を入ると玉陵です。

玉陵
左から東室(王および王妃)、中室(洗骨までの間霊柩を安置)、西室(王および王妃以外の家族)。
銘文引用
第二尚王家歴代の陵墓であるこの玉陵は、首里城への要路綾門大道にこ臨み東は天界寺に隣接するなど重要な位置にあります。
墓陵内は琉球石灰岩の高い石垣によって囲まれすべての庭には珊瑚砂利が敷きつめられています。
東室、中室、西室の三基に分かれた墓堂は、自然の岩壁をうがち外部を切り石積の家型とした沖縄特有の型式を持つ陵墓といえます。中室は、洗骨までの間霊柩を安置するのに使用し(シルヒラシ)、東室には洗骨後の王および王妃、西室にはそれ以外の家族の遺骨を安置したと伝えられています。
また、前庭左側に西面して建つ「たまおどんのひのもん」(尚真王二五、大明弘治一四年一五〇一)には陵墓にまつわる当時の事情が伝えられています。
その他、墓頂にある雄雌の石獅子や墓室前の高欄などからも琉球文化の粋をしのぶことができます。

墓頂の上にいる獅子(写真中央右上あたり)

東の御番所(あがりのうばんしょ)
東の御番所は、法事の折には国王の控室として使用されました。ところが、太平洋戦争直前には、2間(約360cm)四方ほどの大きさしかなく国王の葬儀に使用するガン(遺骸などを運ぶ御輿(みこし)のようなもの)や、その他の道具類を保管する倉庫として使用されていたようです。
2000(平成12)年に発掘調査を行ったところ、東西約18m南北約12mにわたり、柱を支えた礎石や建物の周囲に巡らされた石敷便所跡などの遺構が発見されました。さらに、瓦や釘、中国製の青磁や染付、壺屋焼きの陶器などの破片も出土しました。
驚いたことに、西の御番所の部屋割を描いた図を反転させるとほぼ柱の位置が一致することがわかりました。そこで、遺構や写真などをもとに分析し、東の御番所を復元しました。
復元にあたっては、砂などで遺構を保護し、元の面より約45cm上げて整備を行っています。