沖縄最高の聖地・歴史、風習を知る

斎場御嶽は琉球の始祖「アマミキヨ」が造ったとされ、国始めの七御嶽の一つといわれる沖縄最高の聖地。琉球の最高神女であった聞得大君の就任の儀式はこの斎場御嶽で執り行われたそうです。足元がやや悪く、急な傾斜や階段がありますのでスニーカーなどの歩きやすい靴で行かれることをお勧めします。
【銘文引用】
三角岩(上の写真)
自然岩や洞穴に囲まれたこの場所には、いくつもの排所が集まっています。正面に見える三角形の空間の突き当たりが三庫理、右側がチョウノハナの排所で、いずれも首里城内にある場所と同じ名前を持っています。また、左側からは太平洋と久高島が遠望できます。
さて、三角岩の右側には、「貴婦人様御休み所」と二本の鍾乳石が見えます。滴り落ちる水はその下に置かれた壺に受けられ、それぞれが中城御殿(国王の世子)と聞得大君御殿の吉兆を占うとともに、お正月の若水とりの儀式にも使われる霊水でした。
順路に沿って紹介
緑の館セーファ(資料館)

こちらで入場料を支払います。資料館内は斎場御嶽の資料の展示や休憩スペースもあります。
斎場御嶽入口

銘文引用
世界遺産の斎場御嶽
2000年12月、斎場御嶽は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとして、ユネスコの「世界遺産条約」に基づく世界遺産リストに登録されました。
全世界の人々のために保護すべき遺産として、特に優れて普遍的な価値のあるものが、このリストに登録されます。
斎場御嶽
「御嶽」とは、奄美諸島から宮古・八重山にいたる南西諸島に広く分布している聖地の総称です。斎場御嶽は、琉球王朝時代に政府が整備した国家的な宗教組織との関連が深い、格式の高い祭祀場でありました。せーふぁ(霊威の高い聖なる場所)の名前が示すように、巨岩や聖樹に囲まれた空間には、首里城内にある部屋名と同じ名前の拝所があり、当時の王府と斎場御嶽の関わりの深さをみることができます。琉球最高神女である聞得大君の、就任儀式「お新下り」の御名付けがこの地で行われたということは、王権を信仰面・精神面から支えていた証でもありましょう。現在でも、聖地巡拝の習慣を残す東御廻り(あがいうまーい)の聖地として、参拝客は後を絶ちません。
■世界遺産登録 2000年12月2日
■国指定 1972年5月15日
■国指定面積 44,643㎡

資料館を出てしばらく山道を歩きます。

石畳の階段の上に作られた木製の階段を登ります。ここから坂道です。足腰が弱い方は少し大変です。

しばらく森の中にある一本の石畳道を登って行きます。

石畳の道は乾燥していても滑りやすく、雨の日はもっと滑りやすいので歩きやすい靴がいいです。お子さんや足腰が弱い方は手をつないだほうが安心です。
大庫理

首里城正殿の二階は大庫理と呼ばれ、祭祀的な機能を持つ格式の高い場所です。聞得大君のお新下りの儀式での「お名付け(霊威づけ)」儀礼が、首里城と同じ名前を持つこの場所でとり行われたのは、その名にふさわしいことと言えましょう。前面にある磚(せん)敷きの広間では、神女たちが聞得大君を祝福し琉球王国の繁栄を祈りました。
寄満

寄満とは首里城内にある建物の名前で、国王のために食事を作る厨房を指します。当時、ここには国内外からの海幸・山幸が集まりました。それが、豊穣の寄り満つる所」と理解されていったのでしょう。同じ名前を持つ斎場御嶽のこの場所には、第二次世界大戦前まで、その年の吉兆を占う馬の形をした石(うまぐゎーいし)が置かれていました。
三庫理

貴婦人様御休み所と二本の鍾乳石。ここの左側が三角岩です。

三角岩の奥からの景色で、遠くに久高島が見えます。
地図を見ると、斎場御嶽は首里城と久高島の中間にあり、その三か所を線で結ぶと一直線になります。
券売所と駐車場

斎場御嶽の近くにある南城市地域物産館に券売所と駐車場があります。ここの駐車場が満車の時は、海側にある景色のいい知念岬公園の駐車場を利用します。