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浦添城跡
浦添城跡
説明板より
 浦添グスク(城)は首里城以前の中山王城として知られています。
 発掘調査から十四世紀頃の浦添グスクは、高麗系瓦ぶきの正殿を中心に、堀や石積み城壁で囲まれた巨大なグスクで、周辺には王陵・寺院・大きな池・有力者の屋敷・集落などがあったと考えられています。のちの王都首里の原形がここでできあがっていたようです。
 王都が首里に移された後、浦添グスクは荒廃しますが、一五二四年頃から一六〇九年の薩摩藩の侵攻までは浦添家の居館となりました。
 去る沖縄戦では、日米両軍の激しい戦闘により、戦前まで残っていた城壁も大部分が破壊されましたが、これまでの発掘調査によって、石積み城壁に基礎や、敷石遺構、建物跡などが良好に残っていることが確認されています。浦添市では現在、史跡浦添城跡復元事業を進めているところです。
所在地:沖縄県浦添市仲間2 地図
浦添城跡
浦添城跡
説明板より
浦添グスク正殿跡か?
 平成10年度の試掘調査で、石畳上の敷石と、四角い切石の石列が出土した。
 全体の形はまだつかめていないが、多数の釘や瓦の破片などが出土していることから、建物に関連する遺構と考えられる。
浦添城跡
説明板より
トゥン(殿)
 トゥンは、神をお招きして祭祀を行う場所のことで、本島北部や奄美ではアシャギ、先島諸島では座などともいう。
 浦添グスク内のこのトゥンでは、稲二祭(旧5月・6月ウマチー)のとき、かつてはトゥンの北側に二本の竹を結び合わせたアーチ状の門がつくられ、そのアーチに向かって手を合わせたあと、祭祀がとり行われたという。
浦添城跡
説明板より
 首里城と浦添城を結ぶ道。1597年に尚寧(しょうねい)王が整備したと考えられる。
※現在は通り抜けできません。
<歴史の道・道順>
浦添グスク
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安波茶橋
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経塚の碑
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ニシヌヒラ・フェーヌヒラ
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首里平長橋
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首里城
浦添城跡
浦添城跡から見た浦添市、宜野湾市方向。